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8/30集会に行きました! [世の中]

春から今まで仕事や手術で、ネットを見ながら世の中の動きにハラハラ、イライラしていました。
8/30運動のことを知っても、東京は遠いし、身体は本調子ではないし、参加は諦めムードだったのですが、幸い家の近くで集会があることを知り、エイっと参加してきました。

どうせならということで、フィリピン語と日本語混じりのプラカードを作りました。素材は在籍大学有志の会のFBよりいただきました。

IMG_1966 (1).jpg

kapayapaan=平和、ang=は、hinahangad=望んでいるもの、natin=私たちの、
at=and、hindi=not、kaawayan=喧嘩、争い

このプラカード、けっこう気に入ったのです。
絵も文も優しいし、まず誰も持っていないだろうから目立つし(^ ^)。
予想通り目立ったようで、4人くらい写真撮影を希望されました。
おまわりさんもなぜか私が関係者だと勘違いしたようで、「近所の塾から騒音の苦情が入ってきているけれど・・・」と相談されたり。
塾に声が向かないように開始前に本部の向きを変えたことを説明したり、たぶん賛成派だと思うのですが近くの見えないところで大きな音で音楽をかけているので、「あの音があるので聞こえにくいから音量下げられないようで・・・」と頼んでストップさせてもらったり。世慣れたおばさんの役割をしてしまいました(⌒-⌒; )。

IMG_1967.jpg

地方の小さな集会でしたが参加者は350人くらい。前回も来たという方とお話しすると、かなり増えているようでした。
集会にどれだけの効果があるのかはわかりませんが、大人である以上、今後も意思表示は続けたいと思います。

ツイッターなどで時々話題になっていますが、これにゼネストが加わったりすると効果大だと思うのですが、いまの経済界を見ると望み薄ですね(ちょっと前に連合支部に電話しましたが、とても歯切れが悪かったです)。

それでも、問題意識を共有している人を実際にたくさん見ることができて、心強い夕べでした。



信仰と信念と [世の中]

このブログでは、私の大学生活をわりと淡々と記録しようと思って始めました。
ですから心のなかの問題は、あえてあまり書かないようにしてきました。
しかし今回マニラに行って、特定の信仰を持つ人たちと話しているうちに、ちょっとおもしろいことに気づいたので、書き留めておくことにしました。

信仰と言っても、フィリピンの大多数派であるカトリックでも、数としてはずーっと少ないけれど世界的には主流宗教の1つであるプロテスタントでもありません。何と何と、「エホバの証人」と「幸福の科学」の信者さんです。自分のことではないので、あまり詳しい情報は書きませんが、どちらもフィリピンに支部があります。でも、圧倒的に少数派です。

それぞれの信者さんとかなりの時間を共有し、けっこう突っ込んだ話をしました。もちろん私はどちらの宗教の信者でもありません。特に「幸福の科学」はずーっと以前に勧められて何冊か本を読んだのですが、全くピンとこず、しかも最近選挙で打ち出している方針は、私の考え方とは真逆に近いものがあります。

ですから、信仰の話については私は何も評価を入れず、「ふむふむ」と聞く一方に近いものだったのですが、彼ら・彼女らの真面目さ、熱意は何となくよくわかる気がしました。そこはかとなく緊迫感とひたむきさがあり、どことはなしに親近感まで抱いてしまいました。

話をしている時には気がつかなかったのですが、後で考えてみて、あの時の信者さんたちの熱意、一生懸命さ、反面でたぶん社会的に完全には受け入れられていないだろうゆえのいらだち、寂しさ・・・そういう気持ちは、私が日頃、日本の政治問題に関して自分の信念と現実との間で抱いている感覚とかなり近いものがありそうだということにハッと気がつきました。

以前のブログからつき合ってくださっている読者の何人かは、大学進学を始めとする私の選択が単なる学問的興味だけではないこと(もちろん学問的興味はとてもありますよ〜)、自分としてはかなりの信念を持ち、「一時的には家族に負担をかけるけれど、長い目でみたら家庭にもいいことになるはず」と信じて行動しようとしていることに、気づいてくださっているのではないかと思います。

私の抱いているのは信仰心ではなくて思想・信念であり、(傲慢かもしれませんが)いまの権力の方向よりは自分の信念の方が「正しい」と信じています。しかし、その「正しい、間違っている」という側面をぐっと後退させて考えると、信仰に近い一面が浮き出てくるようです。

かなり回りくどい書き方をしましたが、つまり、私が「近代リベラリズム教」の熱心な信者であると考えると、いろいろなことが納得できるし、自分の気持ちもぐっとラクになったのです。

「夫はなぜ私の考え方に常に賛成するわけではなく、時に皮肉を言うのだろう?」「こんなわかりきった欺瞞を、メディアはなぜきちんと伝えないのだろう?」「身のまわりの多くの人は、なぜ(私から見たら)近代の常識に反するような発言をするのだろう?」

これらの問題にはたぶん正誤があり、上に書いたように私は自分に近い考え方が「正しい」と信じてはいます。しかし、それをいったんカッコに入れて外して考えると、フィリピンで出会ったマイナー宗教の信者さんと、大きくみた日本の潮流では「少数派」の私との間にかなりの類似点を見出しました。

そうか、私は「近代リベラリズム教」の熱心な「信者」であり、まわりの人は(程度の差こそあれ)私のような信者ではないのだ!

「こう考えると気持ちがラクになる」というご都合主義的かもしれません。しかし、そういう捉え方をした時、私の気持ちはかなり落ち着いてきたのは事実です。「信仰」そのものや、信仰心の程度が違うのだから、そのことにいちいちガッカリしても憤っても仕方がない。私は私の信じる道を静かに進もう。ただ、家族は同化しなくてもいいから、私の考え方を理解はしてほしいなあ〜。

ちょっとわけのわからない記事になってしまいましたが、典型的日本人ではない人たちと話すと、おもしろい視点が得られるなあと、興味深かったです。


もっと活躍していただきたかった・・・日隅一雄さん死去 [世の中]

今朝、ネットのニュースに目を通すと、弁護士・ジャーナリストの日隅一雄さん死去の報がありました。数年前から日隅さんのブログの読者でした。日隅さんの関心の広さと示される膨大なデータになかなかついて行けず、難しい記事はあまり理解できず、2年ほど前に買った「マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれのるか」もまだ開いていない不良読者でしたが、民主主義を大切にされ、それを守るために日夜奮闘されていることはひしひしと伝わってきました。

闘病中もブログ、ネット、書籍からの発信を続けられ、ご自身の病状についても希望とユーモアは失わないながらも冷徹に綴っておられました。健康でさえあればこれから10年、20年、定年のないお仕事ですのでそれ以上活躍されたはずなのに・・・と思うと、残念でなりません。

太く短く生き抜かれた人生だったことでしょう。
ブログからの最後の言葉「平和も原発も、長期プランなしに臨んでは、破綻する」を噛みしめています。残った私たちがそれぞれの立場で考え行動しなくてはならないと思います。夏休みには「検証 福島原発事故記者会見」を読み込もうと決心しました。

ご冥福をお祈りします。

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